2017.04.30

日本の古楽なんて

 古楽とは、当時の文化や奏法を踏まえ、その時代の楽器で演奏するもので、別にバロック以前に限ったものではなく、18世紀以前に限定されるものではありません。それこそ、中世からルネサンス、バロックはもとより、ベルリオーズやブラームスなどのロマン派、ドビュッシーやマーラーなどの近代、武満徹、シュットックハウゼンなどの現代も包括するものです。

 文化は勿論、楽器や奏法も変化していくもので、当然の事ではあるのですが、日本では何故かバロック乃至古典派以前のみを「古楽」としてしまう風潮みたいなものがあるようです。前述の事を踏まえると、これは非常に視野が狭いと言えるのではないでしょうか。古楽をバロック以前と定義できるような根拠はどこにもないのですし、どこどこの時代までと線引きはできません。ナンセンスだとも言えましょう。文化も楽器も奏法も、今まさに変化し続けているのですよ!

 当時の音楽を演奏するにあたり、当時の資料を調べ、当時の楽譜と楽器(orレプリカ)を使うのが古楽なのですが、この国のプロの方は困った事に、当時の資料をよく調べず、外国の同業者の真似をしたりする(短小単弦アーチリュートとか!)のが少なくありません。所謂古楽器の制作も、オリジナルをきちんと研究したデットコピー(オリジナルの忠実なレプリカ)は皆無、多くの制作家は当時の楽器や音楽よりも、マーケティングに興味がある体たらく。それを知ってか知らないか、古楽としての用を為さない楽器にも関わらず、「国内の制作家は海外に負けない!みんなもっと国内の楽器を買おう!」みたいな輩が出る始末。地産地消じゃあるまいし。古楽器は野菜ですか?

 国内のパイオニアと言われる人たちをつぶさに観察したり、調べてみると、音大で教えている某先生なんかは「古楽器だけではなくモダン楽器も弾けなければいけない」とか、「モダンのオーケストラで礼儀や作法を学びなさい」みたいな事をのたまわっているとか。古楽奏者ならば、むしろモダンを学ぶ事は弊害の方が多いのにも関わらず、です。また、ライナーノーツやインタビュー、著作などを見ると、エビデンスに基づいているというよりは、主観に基づいて勝手な事を書いていることがよく目につく有様。演奏は技術はあっても箱庭的で作為的(=わざとらしい)、感動よりも聴き疲れる・・・。この後の世代も(全てがそうではないにしても)同じ轍を踏んでいるような気がしてなりません。

 プロだけではなく、愛好家も問題を抱えているように感じます。歴史的な事柄への関心は無く、練習して人前で弾いてナンボと思っている。音楽の素養も無し。楽器もお金に頓着したり、とても古楽器と言えない楽器を弾いたりetc。弾ければ良いと言って、いい加減な楽譜を使用する人もいます。大人になっても子供の頃のお稽古の延長でいるのだろうか?何のために音楽をしているのだろうか?そもそも古楽と古楽器を分かっているのだろうか?それとも、単に無知なのか?これは教えている先生方の責任も大いにあるのだけれど・・・、目的や趣味は人それぞれ?もう止めましょうよ、そんな言い訳は。僕は現代的なリュートを弾いた事があるし、評判の芳しくない国内製作家の楽器に合成樹脂弦と巻き弦を張って弾いていましたよ?何年も。そうこうして違和感や疑問を感じ、悩み、考えた末に、当時の教則本を読んで、ダブルフレットを巻いて、弦高を下げて、ガット弦を張って今に至る訳です。自慢じゃないけれど、楽器を封印して2、3年音楽教室に通って対位法と和声も勉強しました。今は英語を一から勉強しています(イギリス音楽の愛好家ですからね)。

 古楽は言語的にも文化的にも日本と繋がりが無いのですから、プロも愛好家も語学と音楽の素養という前提条件を満たすのは必須です。また、古楽というものは当時の資料や楽器、信頼できる研究成果などを拠り所とし、その国の文化に敬意をもって演奏するもの、一つでも欠けたら最早古楽ではありません。趣味でやっているからというのは自分に対する言い訳だけではなく、当時の文化に対する侮辱ですらありましょう。

 随分くどくどと書いてしまいましたが、私が言いたい事は、当時の文化や奏法を踏まえ、その時代の楽器で演奏する。演奏の拠り所は当時の教則本と資料、楽器、信頼できる研究成果だけである。どれか一つでも欠けたら、それは古楽でも何でも無い、という事です。にも拘わらず、条件を満たさずに古楽を名乗っているのであれば羊頭狗肉であるという事です。プロも愛好家も。
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この記事へのコメント
ご意見、拝見して現代音楽シーンの状況、弊害というものが見えてくるようです。
国内でも相当に有名なリュート奏者としてプロとして人前で演奏し、お金を取るような方でも、演奏会場での効率性、利便性を重視し、敢えてナイルガット、巻き弦で演奏することを問題にしていない方が多い。(内心はそう思ってないのかもしれませんが)
そういう先生が生徒にリュートを教授しても、その生徒にもガット弦本来の音色、あるべき姿を教えず、限られた時間内でカリキュラム消化のために、ナイロン、巻き弦で教えているところもあるほどです。むしろそのほうが多いと思います。
国内でガット弦推奨で、それで教授している教室は実に少ないものです。

楽器製作にしても、演奏にしても、当時本来のものとは、残された文献、オリジナル楽譜、楽器、絵画しかないわけです。ですから、それらに敬意を払い忠実にあることは、歴史的楽器を学ぶ者の基本姿勢だと確信します。
それでも、全てがわかっているわけではないし、常に探求心を持つ謙虚さは求められましょう。
全ての音楽シーンに言えると思いますが、ショービジネスの世界というのは、結局、利便性と効率性、収益だけ。
 私ごときが偉そうなことは申せませんが、そんな風潮は別にして、自分はどうありたいか、どうすべきか、有限の時間、人生の中で最適なものを見出だしていきたいと思います。
Posted by Luten at 2017.05.01 18:24 | 編集
>>Lutenさん
こんばんは、コメントありがとうございます。

リュート奏者に限らず、国内の著名な古楽奏者はマーケティングが上手いだけ(だから有名になった)ように思います。
それ故、歴史的な事柄を踏まえてレッスンが出来ないというのが実情ではないかと感じるのです。

楽器製作家、リュート関係について言えばかなり厳しい事を言わざるを得ません。
ある制作家はダブルフレットについて海外で流行っているのかみたいな事を言い、国内にあるオリジナルのリュートを全く検分しない有様です。

これは、その楽器の所有者から伺った話ですが、海外では多くの制作家から検分の申し出があったが、
国内の制作家らは皆無だった、との事です。

古楽器製作家の中には海外で修業した人もいるでしょうが、オリジナル楽器を研究し、
キチンとデットコピーなり、当時の仕様と同様のレプリカを製作出来ていない時点でお話になりません。

今のところ、国内でのみ活躍している古楽演奏家の殆どはショー・マンであっても、
古楽演奏家ではないと言えるのではないでしょうか。また、制作家も・・・。

私はLutenさんのように真摯な方にコメントを頂いて、大変うれしく思います。
Posted by 黒羊 at 2017.05.02 20:10 | 編集
おお、やっぱり怒れる羊はこうでなくては。

早く国内プロや国内製作家を擁護するコメントが付いて、それに反論したりする、いつもの活発な流れになってほしいですね。楽しみです。

ちなみに、関東でガット弦推奨で教えている教室は一つだけだと思いますが、そこはすごく流行ってるみたいですよ。S氏と話すと「住み分けができているのか、ガット弦でやりたい人だけが来るから。」とのこと。この方、近々ダブルフレットのリュートでソロ録音の計画もあるようです。
Posted by 朝歌 at 2017.05.10 21:16 | 編集
朝歌さん

 >>>早く国内プロや国内製作家を擁護するコメントが付いて、それに反論したりする、いつもの活発な流れに・・・>>>

おかしなご意見ですね。擁護する余地なんてありゃあしないじゃないですか。何を言ってるんですか。
擁護する余地がないことを黒羊さんがおっしやって、怒りにも似た文章を行間から読み取れていないようですね。

国内の製作者も演奏家も現在の状況を再考すべし、ということなんですよ。
朝歌さんほどの方なら本心ではないでしょうが、擁護するコメントも不必要なくらいに失望感があるんです。

だからこそ、日本頑張れ!って声を大にして言いたいんですよ。
国内を脱して、海外を拠点にしている古楽奏者は、日本だけに居たんでは、真の歴史、文化、生活、様式、異文化のなんたるかを学べないから、日本人だけども、身も心も現地に染まりきってこそ、その一端が理解できると考えているからです。
それでも日本人の血は変えられないけど、リュート音楽、古楽の起った土地に身を置くことで得られる収穫は計りしれないでしょう。

オリジナルリュートが日本にあるのに、計測に訪れた者が誰もいないなんて!!
そういう現状を嘆くのです。

僕はね、擁護派が現れて活発な議論なんて必要ないと思うんです。明らかに自明なことでしょう?
わかりきった話をしたところで、時間の無駄というものです。
黒羊さんの問題定義は非常に重要なものです。
これからの古楽の行く末は、「気づき」にあり、しかるべき方向へ向かうことを切望したいものです。
Posted by サブ at 2017.05.12 11:50 | 編集
楽器の製作や演奏(楽器の仕様まで含めて)に、人それぞれの考えがあることには、仕方のないことです。
その考えに賛成、同感、反対などあっても、それは互いに寛容であるべきだと思います。
プロの演奏者が、ヒストリカル楽器を弾く際に、その仕様が歴史的でないとか、あるいは、その使用楽器がそもそも歴史的でないとか、日本国内の製作者が軒並み歴史的とはほど遠いとか断言はできまいと思います。

では、歴史的だという根拠は何でしょうか。それは、前投稿でどなたかも述べれていますが、古文献資料、残された当時の楽器、当時の絵画を見ることでしか判断できないわけで、それが全てだから、その通りになっていない楽器仕様は、デタラメであるとか、また絵画のとおりの演奏姿勢や弾弦位置、手の構えでないからデタラメだという結論にはならないでしょう。
なぜか。
当時を知る400年も前の人が現在生き残っていないかぎり、あらゆる事実を知る術は無いのです。
当時でも、自己流のアレンジや奏法、楽器仕様で弾いていた人はいくらでもいるでしょう。
絵画や文献が全てではない、それは確かであり、それだけを妄信して固定観念に固まっていては、それこそ視野を狭めてしまう危険があると思います。

昨今、二重フレットについての啓蒙や、国内製作者や演奏者、歴史的とはこうあるべきと、やたら自身の考えを強調される某奏者がいらっしゃいますが、そのことを否定するものではありませんが、時に過激すぎだなと感ずるのです。そこまで言われるのか、と思うのです。
全てが正しいわけではない。例外もある、正規分布の中心だけが正しいわけでない。そこを私は言いたいのです。
およそは確からしい中心よりも、そこから外れるようなオーソドックスな範囲も存在すると思います。

ナイロン弦、巻き弦で、ガット弦で弾かない者は、歴史的でないので我慢ならない、という主張も正しくもあり、全てではないと思います。
生徒を教えている先生も、歴史的な仕様のことくらいはわかっている。でも、今は生徒にそのことでわずらわしい時間を浪費させるべきでないというポリシーを持っているからかもしれないのです。
限られた時間のレッスンで、ガットの調弦に時間を取られては、肝心の曲のレッスンができないわけですから。
演奏もそうです。お客様を前にして、演奏以前の調弦に時間を浪費するわけにはいかない。
ナイロンと巻き弦も使いようです。批判には当たりません。我慢ならないというなら、聴きに行かない、習いに行かないだけでいい。

プロの演奏者も各々自身の考えを持っているものです。
それは尊重されるべきものです。国内の製作者や演奏者を歴史的でないと断言のごとく否定するようなことは、私は賛成できません。ですが、否定される人たちも存在するのですから、それを否定するのもいけないですが。

ともかく、地球上に生きていれば、それぞれ異質な考え、主張、思想があるものです。争いというのも俺が俺がという出る杭のなれの果てです。
お互いが尊重し、譲り合う心の持ちようを醸成できる社会になってくれれば、もっと平和な世になれるのにと思うです。
自分の好む楽器で好きな演奏を存分にやればいい。それで人生悔いのない楽しみ方ができれば、もはや、それを歴史的でないなどと批判もできないでしょう。
それでいいと思うのです。
Posted by リュートの詩人 at 2017.05.13 17:13 | 編集
>>朝歌さん
最近はモダンな古楽器とヒストリカルな古楽器で二極化しているというか、住み分けられているのかも知れませんね。

お互いに良くも悪くも関心がない結果なのかも。
Posted by 黒羊 at 2017.05.13 20:52 | 編集
>>サブさん
気付きの問題でもありますが、気付いていながら等閑視しているというか、歴史的な事柄への関心のなさ、無知、惰性というところに大きな問題を感じます。

国内のプロ奏者、制作家の話を注意深く見ているとマーケティングや保身に専ら関心がある、そういう有り様です。

また、愛好家の無邪気さというか、無知や無関心も...残念ながら大きな問題になっていると感じています。

彼らの無知であることに胡座をかき、耳を塞ぐ、そういうところに憤りと怒りを覚えるのです。
Posted by 黒羊 at 2017.05.13 21:00 | 編集
>>リュートの詩人さん
>楽器の製作や演奏(楽器の仕様まで含めて)に、人それぞれの考えがあることには、仕方のないことです。
然るべき研究をした上でなら、仕方がありません。
問題はその研究がなされていないという事です。

>その考えに賛成、同感、反対などあっても、それは互いに寛容であるべきだと思います。
寛容であるというのは、批判的な意見に対しても、です。
また、怠け者まで擁護するのは寛容とは違います。

>プロの演奏者が、ヒストリカル楽器を弾く際に、その仕様が歴史的でないとか、あるいは、その使用楽器がそもそも歴史的でないとか、日本国内の製作者が軒並み歴史的とはほど遠いとか断言はできまいと思います。
ガット弦でない、現存するオリジナルの特徴を備えていない時点で判断できます。
少なくとも、歴史的ではない楽器である事は歴史的な楽器である事を断言するより容易です。


>当時を知る400年も前の人が現在生き残っていないかぎり、あらゆる事実を知る術は無いのです。
それは詭弁というものです。当時の人が現在生きているなんて有り得ないでしょう。有り得ない事は除外するべきではないでしょうか。

>当時でも、自己流のアレンジや奏法、楽器仕様で弾いていた人はいくらでもいるでしょう。絵画や文献が全てではない、それは確かであり、それだけを妄信して固定観念に固まっていては、それこそ視野を狭めてしまう危険があると思います。
私も、真の意味での古楽奏者と言える方々もそれが全てだとは思っていませんし、分からない事だらけだと考えています。
しかし、限られた手がかりを基に、様々なアプローチは可能です。
それを盲信だ、固定観念だ、視野を狭めると一蹴したなら、自分勝手なものになってしまいませんか。


>二重フレットについての啓蒙や、国内製作者や演奏者、歴史的とはこうあるべきと、やたら自身の考えを強調される某奏者がいらっしゃいますが、そのことを否定するものではありませんが、時に過激すぎだなと感ずるのです。そこまで言われるのか、と思うのです。
私はその方と同意見です。その主張は独り善がりでは決してなく、歴史的なエビデンスや客観的な研究に基づいたものですから。
むしろ、それを批判的に考える貴方様の考えには驚きを感じます。余りにも無邪気なので。

>全てが正しいわけではない。例外もある、正規分布の中心だけが正しいわけでない。そこを私は言いたいのです。
およそは確からしい中心よりも、そこから外れるようなオーソドックスな範囲も存在すると思います。
思うだけでは憶測や想像の域を出ません。

>ナイロン弦、巻き弦で、ガット弦で弾かない者は、歴史的でないので我慢ならない、という主張も正しくもあり、全てではないと思います。
少なくとも、当時ナイロン弦が存在していたのなら、歴史的アプローチとしてあり得るでしょうね。

>生徒を教えている先生も、歴史的な仕様のことくらいはわかっている。でも、今は生徒にそのことでわずらわしい時間を浪費させるべきでないというポリシーを持っているからかもしれないのです。
残念ながら、ガット弦をキチンと扱えるリュート奏者はごく僅かしか日本にはいません。ポリシーではなく、知らないのです。

>限られた時間のレッスンで、ガットの調弦に時間を取られては、肝心の曲のレッスンができないわけですから。
ガット弦の扱いが出来ないのですから、それでレッスンをする事は困難でしょう。付言すると、ナイロン弦とガット弦では奏法やタッチがまるで違います。互換性が無いのです。

>演奏もそうです。お客様を前にして、演奏以前の調弦に時間を浪費するわけにはいかない。
果たしてそうでしょうか?ガット弦でコンサートをされている方はいますよ。

>ナイロンと巻き弦も使いようです。批判には当たりません。
ガット弦の経験があればそうでしょうね。

>我慢ならないというなら、聴きに行かない、習いに行かないだけでいい。
はい、私はそうしています。

>プロの演奏者も各々自身の考えを持っているものです。
それは尊重されるべきものです。国内の製作者や演奏者を歴史的でないと断言のごとく否定するようなことは、私は賛成できません。
実際にリュートの形をした別の楽器を製作しているのですから、仕方がない事でしょう。ダメなものはダメという事、そういう事も寛容というものではないでしょうか?

>ですが、否定される人たちも存在するのですから、それを否定するのもいけないですが。
力学的というか、物理的な否定は許されませんが、私のような否定的見解も寛容であるならば尊重されるべきものではないでしょうか。

>ともかく、地球上に生きていれば、それぞれ異質な考え、主張、思想があるものです。争いというのも俺が俺がという出る杭のなれの果てです。
話が反れていますので、何も言う事はありません。
Posted by 黒羊 at 2017.05.13 22:04 | 編集
黒羊さん

意見の相違もありますが、それに対してどうこう反論するつもりはないのです。
考えは考えですから承っておきましょう。
ですが、古楽の世界も、古代史もそうですが、表面上に表れている見えるものだけが真実ではないとだけ申しておきましょう。
個人的には、絵画、文献に記される記述だけ全てではないことも当然あると考えています。
その範疇に、適用除外事項があると確信します。
事実だけを見れば、事実だけが全てであるが、それが全てではない、それを申したいのです。
Posted by リュートの詩人 at 2017.05.14 20:27 | 編集
>>リュートの詩人さん
古楽はアカデミックなものですし、過去の事象を扱うのですから、
当然、客観的・慎重でなければなりません。

それが為されていない事を多く目の当たりにしたので、この記事を書いた次第です。

前にも書いたし、多くの第一線で活躍している世界的な古楽奏者は、
残されたものだけが全てである、とは考えていません。
未だに分からないことが多いのです。

しかし、思い付きや出任せ、虚構などに頼らなくても、そこからある程度はできることがあります。

古楽は当時の音楽がどのようなものであったか、それを探求する事、空想することではないことを忘れてはなりません。
Posted by 黒羊 at 2017.05.15 08:32 | 編集
>>リュートの詩人さん

いいハンドルネームですね。詩人。

私の先生も、バーゼルでの招聘コンサートの際、H.スミスに「最高に優れたガット弦と、我々が今までに見たことの無いほど素晴らしい古いリュートを持つチャンスに恵まれることはあっても、その演奏家が本物の詩人でなくてはその生命をよみがえらせることはできない、本当に有難う。」と言われたとか。

とはいえ、詩人の心さえあれば良い音楽家、ではないと先生も思っているようで、「自分は50年リュートを弾いているが、本物のリュート奏者になったのは15年前。ガット弦を使い始めてから」 と東京で言っていたそうな。
Posted by 朝歌 at 2017.05.15 20:40 | 編集
朝歌さん

ハンドルネームでお褒めのお言葉、ありがとうございます。

朝歌さんのお師匠様には、以前、奈良でお目にかかり、お話する機会を得ましたが、とても真摯な方でした。

50年もその道でやっている人でも、そのような謙虚な気持ちを持っている・・・、とてもすばらしいことです。
ところで、朝歌さんのヴァイスのファンタジーハ短調の演奏動画を拝見しましたが、とてもすばらしいものでした。
無心な演奏姿勢でとても好感が持てましたよ。
これからも精進なさってください。
Posted by リュートの詩人 at 2017.05.16 10:32 | 編集
>>黒羊さん

15年ほど前には国内でプロ・アマ問わず、ほとんど誰もガット弦で弾いていなかったし、5,6年前には誰もダブルフレットを巻いていなかった。そう考えると多少でも事態は好転しているのではないでしょうか。

産業古楽(真剣にやると手間もお金もかかるし古楽、本当のことは最後まで分からないし古楽、趣味は人それぞれ古楽、現実のステージに有効な古楽、演奏家の生活のため裾野を広げよう古楽、クロスオーバー等で敷居を下げよう古楽)に対し、本来の古楽(到達しないまでも古の響きを目指す古楽)が一部盛り返している感じ?


>>リュートの詩人さん
「これからも精進なさってください。」って、僕の目上の知己の方ですか?いつもお世話になっています。

Posted by 朝歌 at 2017.05.17 20:52 | 編集
朝歌さん

こちらこそ!
よく存じ上げていますよ(笑)。
Posted by リュートの詩人 at 2017.05.17 21:33 | 編集
このコメントは管理人のみ閲覧できます
Posted by at 2017.06.16 18:26 | 編集
>>鍵コメ様
コメントありがとうございます。

またお気軽にコメントを下さいね。
Posted by 黒羊 at 2017.06.24 20:36 | 編集
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