2014.06.07

超短編

 私は超短編と呼ばれるジャンルが大好きで、一般にはショートショートとか呼ばれますが、実際にはもっと多くのものを包括するジャンルだと思います。例えば、小説『にんじん』で知られる、ジュール・ルナールの作品に、『博物誌』と呼ばれる作品があります。そのなかに収められている「蛇」という一篇をご紹介しましょう。恐らく、皆さんのイメージあるショートショートとは全く異なるのではないのかしら。


『蛇』

 長すぎる。


これだけです。どんな詩よりも短いのに、この生き物の本質をたった一語で表していると思いませんか?また、この「長すぎる」という一語、たった一語だけに様々なイメージが喚起されないでしょうか?次に、同じく『博物誌』から『栗鼠』と『鴉』を読んでみましょう。


『栗鼠』

 羽飾りだ! 羽飾りだ! さよう、それに違いない。だがね、君、そいつはそんなとこへ着けるもんじゃないよ。


『鴉』

「なんだ(コア)? なんだ(コア)? なんだ(コア)?」
「なんでもない」



『蛇』よりは長いですか、ルナールの優れた観察眼とユーモアを感じる素敵な作品だと思いますし、やはり、短さ故に強い喚起力というものを感じます。 ルナールとは全く作風が異なりますが、稲垣足穂の『千夜一秒物語』に収められた作品の数々、それから、これらよりはずっと長いけれど、川端康成の『掌の小説』や、バリー・ユアグローの「一人の男が飛行機から飛び降りる」などの作品達も、ごく短い文章で書かれています。しかし、その軽やかさから感じられる印象は、何百ページにも及ぶ長編小説に匹敵するように感じられます。長ければ良い、重ければ良いとは限らないのですね(この事は音楽にも言えると思います)。

 記事にある作品は青空文庫のルナール作・岸田国士訳による『博物誌』から引用させて頂きました。
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Posted at 08:47 | 未分類 | COM(6) | TB(0) |
2014.05.31

 昔TVで、故島田省吾さんが演じる「白野弁十郎」の一部を観た事がありました。それは島田さんが「独り芝居」の形式にしたもので、登場するのはもちろん島田さん演じる白野だけです。その白野を通して物語が進められていきます。こう書くと何とも地味に感じられるかも知れませんが、圧倒されてしまうような演技力で、凡庸の私ですら物語の世界に引き込まれざるを得ず、最後の死神と対決する場面などは言葉を失ってしまう程でした。生まれて初めて「藝」というものを目の当たりにしたような気がします。

 島田さん以外だと、美輪明宏さんもそういう圧倒されてしまうような演技力をもった人だと思います。例えば、美輪さんの歌う「ヨイトマケの唄」や「老女優は去りゆく」を聴き、そして観て、余程感受性が鈍麻しているのでなければ、何も感じない人はいないでしょう。



 島田さんの舞台を観る事は叶いませんが、いつか美輪さんの舞台を観たいと思っています。

Posted at 19:50 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2014.05.31

物語雑感

・トリオ・ソナタかコンチェルト・ダ・カメラが演奏できるくらいの人たちが住む小さな館の住人達を題材に、何かのひとかけらのような小さな物語をたくさん書いてみたい。

・物語というものは、既に存在しているものを材料を加工して組み合わせるものではないだろうか。例えば、ここに不老不死の男があるとする。それは「不老不死」というものと「男」を組み合わせ、造形され、名付けられ、人生や運命を与えたもので、元は既存の発想や事物、現象、知識、ものなどを組み合わせたに過ぎない、そういう風には考えられないだろうか。

・全てオリジナル足らんと欲する人がいるが、それは非常に困難なことだと思う。何故なら、私たちを取り巻くものを作り直したり、再体系化するようなものなので、気が遠くなるほどの作業だから。それに、私を含め、そういう「新しく作られた世界」というものを前に、どう振舞ってよいのか戸惑ったり、絶望しはしないだろうか。それは、文化も言葉も分からない遠いどこかの星の人たちの世界に入り込むようなものだと思う。

・物語がどんな形をとるのであれ、多くのそれは、私たちが知っている事物で作られているのだから、退屈だろうが、面白かろうが、理解し、解釈できる。
Posted at 18:46 | 未分類 | COM(2) | TB(0) |
2014.02.14

チョコレット

チョコレートを作ってみました。

勿論手作り、ではなくてgoogleさんを使ってですけれども。

http://g.co/doodle/yygwgg

ところで、バレンタインデーって、チョコレートを食べる日ですよね?
Posted at 10:25 | 未分類 | COM(6) | TB(0) |